相手のことを理解する。
たとえば、こんな言葉ってありますよね。
「自分を理解してほしいなら、まず相手のことを理解するべき。」
うん、言いたいことは分かる。ただ、なんとなく違和感が。そもそも相手のことを理解するとは何ぞや。
ということで、
「相手のことを理解する」とは。
について思うところを書いていこうと思います。
ある日の出来事
のらくらがこの記事を書こうと思った経緯をちょっとだけ。
ある日の出来事です。
知人と会話をしている中で、
「意見を言ってもすぐに一掃されるだけ」
「こちらの思いを理解する気がない」
なんて話がありました。うん、完全に仕事の愚痴をもらしまくってる会話ですね。
そんな話をしているときにふと思ったんです。
「自分を理解してもらいたいなら、まずは相手のことを理解するよう努めなさい。」
こんなことを小中学校のときに教わってきたなと。道徳の授業とか。お偉い人の講話とか。
そして今になって思うわけです。
「相手のことを理解する。」とは何ぞやと。
純粋だった幼い時には疑問すら思ってなかったはずなんですが、今思うと何か違和感やら嫌悪感やらを感じるわけです。
大人になって捻くれたのかも・・・。
相手のことを理解するとは
そもそも相手のことを理解するって何なのでしょう。確かに相手のことを理解しようとすることはとても大切なことだと思います。そこは間違ってない。
ただし、理解しようとするっていうのは片方だけが「相手のことを理解しよう!」って思っていた所で
まあ「無理な話」。
だと思いませんか?
だって、もう片方が「自分のことを理解してもらおう!」って思ってないと意味がないわけで。そう思ってない相手のことを考えたって、結局相手のことを理解したつもりになるだけでしょう。
そう考えるとですよ、
「自分を理解してもらいたいなら、まずは相手のことを理解する。」
うん、なんて不毛なことを言ってるんだと。
だいたいですよ、自分のことを理解してもらうのは後回しで良いのかと。
理解してもらえない相手のことなんて理解しようと思えるわけあるかって。
そう思っちゃうわけです。
捻くれてるかな・・・?
結局大事なのは議論すること
結局何が言いたいのかというと
大いに議論しましょうよってこと。
自分の意見を主張することから始めないと何も始まりませんよってこと。
「議論する」ってことを避けがちな人って結構いると思うんです。それが日本人の美徳だ!って思ってる人もいるかもしれません。
それでものらくらは言いたい。
議論しましょう!
コミュニケーションを取るってそういうことだと思うから。自分を押し殺して、相手に合わせるのってただ辛いだけ。
それはコミュニケーションを円滑にしてるんじゃなくて、コミュニケーションを取ることから逃げてるだけだと思うんです。
まとめ
ということで、のらくら。
何度意見を一掃されようと、自分の意見を言うことを諦めない!
強い気持ちをもって意見していきます。
自分の思いを理解してもらうんだ!という強い気持ちが大切かなと思います。そしてそれがまた、
相手のことを理解する近道なんじゃないかなと。
だって、それが議論に繋がれば「あ、そういう思いがあってそう言ってるのか」って気づくことにも繋がるはずですからね。
「相手のことを理解するためにも、自分のことを理解してもらおう。」
ってスタンスでも別に良いじゃないか。
みなさんも、意見があっても言ってもしょうがないって思ってないで発信をしてみてはいかがでしょうか?
以外と良い結果につながるかもしれませんよ?
以上、
のらくら でした!
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